アスペルガー症候群

アスペルガー症候群とは、コミュニケーションや興味について特異性が認められるものの言語発達は良好な、先天的なヒトの発達における障害。
本診名はなく自閉症スペクトラム障害の中に位置づけられる。 日本ではアスペと略されることもある(ただし、侮蔑的な意味合いを含む場合がある)。
特定の分野への強いこだわりを示し、運動機能の軽度な障害が見られることもある。自閉症スペクトラム障害のうち知的障害および言語障害をともなわないグループを言う。
発生原因は不明。特異性や特徴に該当する部分が多いことに気づいて不安感を持った本人が、医療機関に相談したときに診断されたことを本人自身が受け入れた事例のみである。
効果が示されたと広く支持される治療法はない。放っておくとうつ病や強迫性障害といった二次障害になることがあるとの指摘もある。

 

社会的コミュニケーションの困難
アスペルガーの人は、多くの非アスペルガーの人と同様か、またはそれ以上に強く感情の反応をするが、何に対して反応するかは常に違う。
彼らが苦手なものは「他人の情緒を理解すること」「言葉やジェスチャーの裏に隠された意味を理解すること(非言語コミュニケーション)を図ること」である。しかし手話のように目で見て理解する事は可能なため、身体的動作の細かな意味を理解して、記憶することで瞬時の判断を賄うことが可能である。
例として、教師がアスペルガーをもつ子供に(宿題を忘れたことを問いただす意味で)「犬があなたの宿題を食べちゃったの?」と尋ねると、その子は押し黙ってしまう。この時、教師に自分は犬を飼っておらず、普通犬は紙を食べないことを説明する必要があるのかどうかを考え、教師の表情や声のトーンから暗に意味していることを理解できないのである。教師がこの子は宿題のことをうやむやにしようとしている、反抗的である、と考えたりしてしまう場合もある。
上記の例のように、アスペルガーをもつ子供は、言われたことを額面どおり真に受けることが多い。これは「言葉の名称」や「意味する表現方法」を知らない場合に多かったり言われた言葉と同じ言い方で聞き返す癖があることや、抽象的な言われ方では納得の出来ない性格などが原因で、客観的には額面どおりに真に受けていると思われることもあるため判断をするには長期的な付き合いが必要となる。
成長の上で問題となるのは、親や教師が励ますつもりで「テストの点数など、さほど大事ではない」などときれいごとばかり言ったり、反対に「テストで点数を取れなければ、何も買いあたえない」など現実的なことばかり言い聞かせたりすること、つまり極端な教育をすることである。結果的に持つべき水準からかけ離れた観念を持って行動してしまう危険性がある。しかし、子供が並大抵の努力では叶いそうもない目標を立てていたと知ったときに、ほとんど肯定する気配もなく協力をしないことも水準からかけ離れた観念を持つ過程となってしまう場合がある。
彼らは、“大人の発言には掛け値がある”という疑いを持ちにくく、持ったとしても、はたして掛け値がどのくらいなのかを慮ることが困難であるため、発言者の願望を載せて物事を大げさに表現すると狙った効果は効き過ぎることになる。
しかし場の状況に応じた正当で過度な言い表し方でない時でも、聞き手にとっては弁解する余地のない時には「それは言いすぎだ」と指摘の様に答えることで否を発言者に置き換える場合がある為、中立を保った見分け方も必要になることがある。
職場で『報告・連絡・相談』の必要な状況下で伝言をする際に、「聞いた時の声色、声の質、使用された言語、を丸ごと真似をするだけの実況中継報告はしない」と彼らは批判の声を立て、要点を伝える際に彼らの主観でどう解釈したのか伝える時の言語を僅かながら変えることでも非現実的な伝わり方が多く、妄想が酷いと解釈される場合がある。

 

アスペルガー症候群の人間は、それ以外の人々が心理社会的モラトリアムを経由して獲得できると言われる「自我同一性」の獲得が困難とされる。自分が過去から連綿と続いている存在であるという認識を持つことが出来ず、中庸の考えを持たないため、極端で観念的な思考に走りやすい傾向がある。被害妄想、対人恐怖などを起こすこともあり、統合失調症と誤解されるような病的な精神状態になってしまうこともある。
精神に混乱をきたし、自分の世界に引きこもる、その混乱を周囲に対する怒りに置き換える、などの傾向を見せる。
非自閉症の人(NT:neurotypical, 典型的な精神の人)は、他者の仕草や雰囲気から多くの情報を集め、相手の感情や認知の状態を読み取ることができる。この能力が自閉症の人には欠けており、他者の心を読むことが難しい(心の理論の欠如)。そのような、仕草や状況を読み取れない人は他人が微笑むようすを見ることはできても、その微笑みがなにを意味しているかが理解できない。
多くの場合、彼らにとって「行間を読む」ことは、困難ないし不可能である。最悪の場合、対人コミュニケーションにおいて、表情を読みとることができない。つまり、人が口に出して言葉で言わなければ意図していることが何かを理解できないのである。しかし、彼らはボディーランゲージなどを通して相手に伝えることは可能である。とはいえ、この種の能力差は、健常者から深刻な障害をかかえるケースにまでわたってスペクトラム(連続体)状に分布している。したがって、アスペルガー症候群に分類されるケースにおいても、表情や他人の意図を読み取ることに不自由のない人もいる。
また、彼らはしばしばアイコンタクトが困難である。ほとんどアイコンタクトをせず、それをドギマギするものだと感じる場合が多い。その一方で、他人にとって不快に感じるくらいに、じっとその人の目を見つめてしまうようなタイプもいる。アイコンタクトなどにおいて、相手から発せられるメッセージを理解しようと努力しても、この障害のために相手の心を解読しそこねることが多い。たとえば初対面の人に挨拶をする際に、社会的に受け入れられている通常の手順で自己紹介をするのではなく、自分の関心のある分野について一人で長々と話し続けることもある。
他人に自分の主張を否定されることに強く嫌悪感を覚えるという人もいる。このことは学校などで学習上の大きな障害となる。例えば、教師が生徒にいきなり答えさせ、生徒:「これは○○だと思います」、先生:「違うよね、これは××だよ」というように、否定して答えやヒントを教えるような方法は、アスペルガーの人には相当な苦痛やストレスとなる。しかし、多くの成人は、忍耐力のなさと動機の欠如などを克服し、新しい活動や新しい人に会うことに対する耐性を発達させている。
これらのことは子供時代や、大人になってからも多くの問題をもたらす。アスペルガーの子供はしばしば学校でのいじめの対象になりやすいとの指摘がある。理由として彼ら独特の振るまいや言葉使い、興味対象、身なり、そして彼らの非言語的メッセージを受け取る能力の低さを持っていることがおもな原因とされる。彼らに対し、前述の言動やアスペルガー症候群という病気自体が理解できず、アスペルガー症候群患者に対する嫌悪感を持つ人が多いとされている。このため教育の場である学校において、今後はサポート体制の確立や自立の支援、他の子供への理解を深めさせる、といった総合的な支援策が必要になるという指摘がある。
「アスペルガー症候群」という一つのカテゴリーであっても、人によって障害の度合いは千差万別である。例えば、学校の友達とうまく話せたり、話をうまくまとめられるなど、いたって軽度な場合もある。また、上手く話せず、それでもよい友達に巡り会えたから必死で耐えているというように、自閉度が中度?重度なこともある。この障害はカナータイプの自閉症などと違い、一見「定型発達者」に見えるために、周りからのサポートが遅れがちになったりすることが問題となっている。
また、身近な例として 留守番を頼まれた際に「誰が来ても開けてはいけない」と言われると、文字通り “誰が来ても”(たとえ親が出先から帰って来ても)開けないという問題が生じることがある。

 

アスペルガー症候群は興味の対象に対して、きわめて強い、偏執的ともいえる水準での集中を伴うことがある。例えば、1950年代のプロレスや、アフリカ独裁政権の国歌、マッチ棒で模型をつくることなど、社会一般の興味や流行にかかわらず、独自的な興味を抱くケースが見られる。しかし、これらの対象への興味は、一般的な子供も持つものである。両者の違いは、その異常なまでの興味の強さにある。アスペルガー児は興味対象に関する大量の情報を記憶することがある。
また一般的に、順序だったもの、規則的なものはアスペルガーの人を魅了する。これらへの興味が物質的あるいは社会的に有用な仕事と結びついた場合、実り豊かな人生を送る可能性もある。例えば、コンピューターに強い興味を持って取りつかれた子供は、大きくなって卓越したプログラマーになるかもしれない。それらと逆に、予測不可能なもの、不合理なものはアスペルガーの人が避ける対象となる。突然のアクシデントや、論理的に話し合いのできない感情的な人間なども、その例である。
彼らの関心は生涯にわたることもあるが、いつしか突然変わる場合もある。どちらの場合でも、ある時点では通常1?2個の対象に強い関心を持っている。これらの興味を追求する過程で、彼らはしばしば非常に洗練された知性、ほとんど頑固偏屈とも言える集中力、一見些細に見える事実に対する膨大な(時に、写真を見ているかのような詳細さでの)記憶力などを示す。ハンス・アスペルガーは、彼の幼い患者を『小さな教授』と呼んでいた。その13歳の患者は、自分の興味を持つ分野に網羅的かつ微細な、大学教授のような知識を持っていたからである。
臨床家の中には、アスペルガーの人がこれらの特徴を有することに全面的には賛成しない者もいる。たとえばWing と Gillberg はアスペルガーの人が持つ知識はしばしば理解に根付いた知識よりも表層だけの知識の方が多い場合がある、と主張している。しかし、このような限定はGillbergの診断基準を用いる場合であっても、診断とは無関係である。
アスペルガーの児童および成人は、自分の興味のない分野に対しての忍耐力が弱い場合が多い。学生時代、「とても優秀な劣等生」と認識された人も多い。これは、自分の興味のある分野に関しては他人に比べてはるかに優秀であることが誰の目にも明らかなのに、毎日の宿題にはやる気を見せないからである(時に、「興味のある分野であってもやる気を見せなかった」という報告もあるが、それは他人が同じ分野だと思うものが本人にとっては異なる分野だからだと思われる。例えば、数学に興味があるが答えが巻末に載っている受験数学を自分で解くことに興味が相対的に変化し、日本語の旧字体に興味はあるが国語の擬古文の読解問題には興味が持てない、など)。ノートやテスト用紙に文字を手書きすることを、快く思う子ども、またそうでない子どももいる。一方、学業において他人に勝つことに興味を持ったために優秀な成績をとる人もおり、これは診断の困難さを増す。

 

知能は平均以上で、学校の成績も良かったアスペルガー症候群を持つ成人が、職場では適応障害を起こすことがしばしば見られる。これはコミュニケーションの特異性(空気を読むことが出来ない、会話が一方通行になりがち、あいまいな指示が理解できない、白黒はっきりつけたがる、一般人の持つ常識が備わっていない、同時並行に複数の業務をこなすことができない、急な変更にうまく対応できない、細部に注意が集中し全体像把握が苦手)が理由である。

 

アスペルガーの人は他のさまざまな感覚、発達、あるいは生理的異常を示すこともある。その子供時代に細かな運動能力に遅れをみせることが多い。特徴的なゆらゆら歩きや小刻みな歩き方をし、手をぶらぶら振るなど(常同行動)、衝動的な指・手・腕の動きもしばしば認められ、チック症を併発している場合も多い。
アスペルガーの人は感覚的に多くの負荷がかかっていることがある。音やにおいに敏感だったり、あるいは接触されることを好まなかったりする。突然大きい声でまくしたてられたり、頭を触られたり、髪を触られるのを好まない人もいる。
音に神経質すぎて不眠を訴える人も多い。これが子供の場合、教室の騒音が彼らに耐えられないものである場合など、学校での問題をさらに複雑にすることもある。 別の行動の特徴として、やまびこのように、言葉やその一部を繰り返す反響言語(エコラリア)と呼ばれる症状を示す場合がある。
宮尾益知はアスペルガー症候群の感覚面での特徴として、「ちょっとした態度や言葉で著しく傷つき、それがトラウマとなりやすい」「幻覚や妄想じみたこだわりを見せる傾向がある」「過去のトラウマから、第三者にとってはちょっとしたことでもフラッシュバックを起こして大騒ぎをする」「大変まじめで、それゆえに壊れやすい」という見解を出している。

 

社会的なコミュニケーション・対人関係の困難
・会話の距離が取れない
・興味や感情を他者と共有することが困難である
・複数の人たちとの会話に入って行きづらい
・視線を合わせることや、身振り、顔の表情の理解に困難がある
・社会的状況に合わせて、行動を調整するなど、文脈を読むことに困難がある

 

行動・興味の限定やこだわり
・パターン化された行動、何度も同じことを繰り返してしまう
・会話が柔軟性にかける思考様式である
・同じ道順をたどったり、同じ食べ物を食べたりするなど行動習慣に対するこだわりがある
・特定の対象に対する、強い興味とこだわりがある
・特定の感覚の敏感さや鈍感さがある

 

・出生時の状況(高リスク出産だったかなど)
・自分の性格について
・生育歴
・学童期のいじめや不登校の経験の有無
・職場などでの人間関係
・既往歴や服用中の薬について
・現在の自分の状態

トップへ戻る