地図混乱地域

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 地図混乱地域とは、日本の一定の地域において、不動産登記事項証明書や法務局(登記所)が備え付けている地図(公図のこと、また地図に準ずる図面を含む)に記載されている内容と、実際の土地の位置や形状が相違している地域をいう。
 俗に「地番錯綜地」、「地図混乱」は必要に応じて公図混乱、字図混乱とも表記される。
 具体的には、「その土地について、登記記録のある者と実際に使用している者が別人で、両者に何の関連もないため、その土地に対する地権者が誰なのかが分からない」(地権者不明)、「登記記録のある地番が、具体的にどの場所に存在するのかが分からない」(不存在地)、「同一の土地に複数の登記記録が重複して存在しており、どの記録が正しいのかが分からない」(重複登記)などの事例が挙げられる。発生原因としては次の通り考えられる。
 これらの地域においては以下の通り、実際に地域住民の財産権や生活環境などが著しく侵害、制約される事態を招いている。
 土地の売買はもちろん、土地を担保とする融資が実行されにくい。
 同一の土地の上に複数の登記記録が存在する場合、地権者も複数存在することから、権利紛争の原因となる。
 地図実態が不明確で土地の特定ができないため、住居表示が実施されず、郵便物の誤配が頻発する。
 官民境界が画定できず、自治体が管理する道路として収容されないため、地域内の私道部分には、自治体による道路整備や公共下水道の敷設が行われない。
 正確な土地の面積が不明なため、適正な固定資産税を課税できない。
 地図混乱地域は、2002年(平成14年)の段階で全国に約750地域、面積で約820kuに上ることが分かった。
 11 haにわたる六本木ヒルズ市街地再開発の折には、5枚にわたる公図ほか古い公用地境界査定図が現状と合っておらず、官民境界を始めとする土地の境界や面積の画定に多大な時間を要し、地権者約400人、約600筆の土地買収にあたって約4年が費やされた。このような地図の未整備のために再開発が妨げられる事例は、決して少なくない。

 

時代背景
 太平洋戦争の終結直後の日本は、全国にわたって産業基盤が壊滅された状況にあり、大多数の国民が衣食住に事欠いた困窮生活を強いられていた。しかし、朝鮮戦争特需に始まる戦後の復興により、人口が急増するとともに、所得や消費が急激に活発化。1950年代半ばには、人口や産業の都市圏への集中が進むことから近郊地域の住宅需要が急拡大し、「衣食足り、次はマイホーム」と、持ち家を夢見る多くの人が世にあふれるに至った。一方、住宅が絶対的に不足する中、良好な住宅地環境を形成するために必要不可欠な計画立案や法整備は、大きく立ち遅れていた。
 そのような状況下、一部の宅地造成業者により、区画整理や地図訂正などの業務が適正に行われないままに、造成や販売が行われる事例が多発した。具体的には、見取図的な山林原野の地図と、縮尺や精度の異なる平地部の地図を混用し、現地照合を怠ったまま分筆をし続けて、土地の細分化を進めたのである。
 地図は、土地の現況を正確に反映したものでなければならない。本来であれば、登記機関が現地に赴いて、その土地の所在や形状を確認する実態調査を行わねばならず、手続的にもその旨が規定されている。しかし、各地で新興住宅地が建設されたこの時期、法務局を主とする登記機関はあまりの登記申請の多さに、実態調査を十分に行わないまま登記許可を出してしまう事例が相次いだ。
 1985年(昭和60年)以降、国会の法務委員会を主として、この問題がしばしば取り上げられるに至る。法務省は登記を確認しきれなかった責任を認め、「地図混乱地域の土地を善意で取得した住民に、直接の責任はない」と言及した。
 速やかな問題解消を図るべく、2003年(平成15年)6月に内閣官房都市再生本部において「主として全国の都市部における地籍整備を今後10年間で概ね成し遂げよう」との方針が示された。その翌年から、国土交通省や法務省など各省機関が連携し、地籍調査を通じた不動産登記法第14条第1項に規定する地図の整備作業を開始。2010年(平成22年)までの6年間で約58 km2を完了させた。さらに、2009年(平成21年)からの8年間にわたる130 km2の地図作成計画を新しく策定し、全国各地での実態調査や測量基準点の設置作業を進めている。

 

 地図混乱問題の解消には、地図の訂正が欠かせない。ただし、地域内の利害関係者全員が現況を認めること、つまり実際にその土地に居住している人を所有権者とし、現況における境界線を採用することが、その前提条件となる。そのためには、「利害関係者全員が合意する」いわゆる集団和解を採る方法が最善である。
 和解に至らない場合は、「未同意者を相手に所有権確認の訴えや境界確定の訴えを提起する」、「不動産登記法に定める筆界特定制度を利用して、行政レベルで筆界を特定する」、「裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律(ADR法)に基づき、土地家屋調査士会が運営する境界問題相談センターを利用して、境界紛争を解決する」など、専門知識を持つ第三者の判断を仰ぐ選択肢も挙げられる。
 しかしこれらの方法だと、たとえ地図訂正が行われたとしても、その後に地域内の私道を自治体が管理する道路として寄付する際には、改めて未同意者に道路寄付承諾を得なければならない。
 いずれにせよ、一筆の土地に地権者が複数存在している当地域で、利害関係者全員が現況を認め、さらに関係土地所有者から境界確認の立会いを得ることは極めて困難であり、合意形成のための膨大な労力と時間が必要になる。

 

調査図素図作成と各筆測量
 地図を訂正するためには、現状を反映させる境界画定を行った上で、地図を作り替えなければならない。まず現地を調査するとともに、たたき台となる調査図素図(基礎図、集団和解図)をつくる。その上で、合意の形成時に妨げとなった問題点を解決していくとともに、隣地との境界を確認して境界承諾書に押印を交わし、それらを正しく反映させた地図を作成していく流れになる。地目、面積や所有者を記載していく際には、細かく引かれた分筆線の記入漏れがないよう、一筆ごとに突き合わせて作成される。そのため、たたき台とはいえ地図訂正の最終目標を示す図面ともなる。
 合意が形成された後は、各区画の地積を確定させるための各筆測量工程に入る。まず、法務局に測量基準点の設置を陳情した上で、図根三角点、図根多角点や細部図根点を設置し、これらを基に地域内の各区画を測量する。そして、所有者の立会いの下に土地の境界標識(コンクリート製の杭、金属標など)を設置する。もし、現存しない里道、水路や畦畔(けいはん、あぜ道)が地図上に描かれている場合は、それらの位置を正確に確認し、利害関係者に払い下げ承諾を求める。これらの工程を通じて、地積測量図、道路台帳附図や不動産登記法に定める地図を作成し、地図訂正の申出と地積更正登記を行う。
 さらに、私道を自治体の道路として移管するには、利害関係者全員による私道の寄付承諾書、各筆界境界承諾書を得た上で、必要書類や各種図面を添付して、自治体に道路敷地寄付申請を行う。

 

地図と公図
 かつて、一般に利用できる土地の大部分は農地であった。律令制の下で農地の売買は禁じられる一方、支配者がその農地を耕作する者から年貢を徴収し、その財源を賄っていた。
 そのため検地を行って、農業生産高を把握し、適切に年貢を徴収することが重要であった。大化の改新以降、班田収受の実行のために作られた田図(でんず)を始め、江戸時代には国絵図(くにえず)、村絵図(むらえず)などが作成されたものの、これらは街道、河川を俯瞰した見取図に過ぎなかった。
 明治時代に入り、土地売買の自由が認められ、一筆の土地ごとに地券(改正地券)が土地の所有者に交付された。また、地租改正により、収税を作物の生産高ではなく土地自体に課すことになり、全国的に土地調査、測量、地価の確定がなされた。この結果、一筆の土地の位置、地番、区画形状などを記した図面をつなぎあわせた、字(あざ)単位の字限図(あざきりず、あざかぎりず)が作成された。この字限図が、土地台帳制度における旧土地台帳付属地図、すなわち「公図の原型」となった。
 当時における測量は、地元村民により1間ごとに印を付けた測量用の縄を用いて、歩測や目測で行われた。また、生産性に乏しい山林原野については、ほとんど実測されることなく目測に頼った。 従って、現代の測量技術で土地の位置、形状、面積の測定を行った場合に、大きな違いが出てくるのである。
 登記法(明治19年8月11日法律第1号)制定に伴い、1885年(明治18年)から1889年(明治22年)にわたって、全国の約3分の1の土地について絵図の更正がなされ、新たに作成された地図を更生図または地押調査図(じおしちょうさず、ちおうちょうさず)と称した。さらに、土地台帳規則(明治22年3月22日勅令第39号)制定により、地券制度は廃止。新たに作成された土地台帳が課税台帳となり、この更生図(更正されなかった地域は旧来の字限図)が土地台帳付属地図、すなわち公図となった。
 1960年(昭和35年)、不動産登記法の改正により、土地の表示は土地台帳ではなく、登記簿の表題部に記載されることになった。これにより土地台帳および公図はその存在意義を失った。しかし、これまでの公図は、地籍調査を通じて「不動産登記法第14条第1項に規定する地図」が整備されるまで「地図に準ずるもの」と規定され、法務局に保管されている。
 公図は、あくまで地租を課すための資料として作成されたに過ぎず、現代的な視点から見ると、信頼性に大きく欠ける地図である。とはいえ、土地の位置、形状、面積や境界線については一応の資料となり得る。そこで、公図が現状と異なる場合には、その部分の訂正を行わなければならない。ところが上述の通り、高度経済成長期を中心に、一部の宅地造成業者により、この訂正を行うための利害関係者の同意書を得ることなく、宅地造成や販売が繰り返される事例が多発した。この結果として、地図混乱地域が続出することとなった。

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