「素敵な老い方」―熟年心理学的考察― 西山 啓

<自分の老後は「未来学」>
 年齢を重ねてきますと心身にいろいろの変化が生じます。若い時は経験しなかった「未知の現象」が自分の身体に生じてくるわけです。加齢は誰にとっても避けることができない現象ですが、本人にとっては「未知の領域」ですから、自分の老後は「未来学」の範疇に属するものかもしれません。私自身にとっても、皆様にとっても初めて「加齢」に向き合うわけですから、今日は私たちの未来学に挑戦してみましょう。

 

<老化する能力、老化しない能力>
 加齢に伴う心や身体の変化を研究する「老人学」では、多数の人々の加齢変化を研究対象とします。その結果、加齢に伴って生じる「一般的な変化」が分かっています。加齢に伴って生理機能は低下してきますが、図1に示すように、全ての機能が一様に低下するわけではありません。

図1 加齢に伴う生理機能の変化

 

 生理的機能の変化は予備能の低下から始まります。まず20歳ころから、運動やストレ ス下で働く「予備能」と呼ばれる生理機能が低下し始めます。70歳を過ぎるころからは、 立つ、歩くなどの日常生活等に関わる機能が低下してきます。80歳を超えるようになると、心臓の働きや消化などの生命を維持するための基本的な機能の衰えが始まります。人々に必要な種々の生理機能の中でも、機能の種類によって老化現象が始まる年齢に大きな差があります。

 

<加齢に伴って向上する能力>
 年齢をとると身体能力とともに知能も低下するように考えられがちですが、そうではありません。知能の定義は研究者によって千差万別で、知能の測定方法も様々ですが、ここでは脳科学の世界で一般に受け入れられているキャッテル(Cattell, R.B. 1963)の考え方で加齢に伴う知能の変化を見てみましょう(図2)。

 

図2 流動性知能と結晶性知能の加齢変化 (Horn, 1970, 高野・波多野、一部修正)

 

 キャッテルは、知能が「流動性知能」と「結晶性知能」という二つの共通因子からなると考えました。「流動性知能」は、新しい場面への適応を必要とする際に働く能力で、脳髄ないし個体の生理的成熟に関係していると考えられています。乳児期から児童期に脳が発達する過程で急速に向上し、児童期を過ぎるころからゆっくり低下し始めます。子供時代に自然の中で思いっきり遊ぶなどの「未知との遭遇」を数多く経験すると流動性知能が発達し、新規の問題に出会った時に自分で方法を編み出して問題を解決する能力が高まると考えられています。
 もう一つの「結晶性知能」は、過去の学習経験に基づく判断力や習慣(過去の経験が結晶化されたもの)で、獲得した知識を活用して問題を解決する知能です。この知能は流動性知能を基盤としますが、経験の機会などの環境因子や文化因子により強く影響されると 考えられています。現象の観察と蓄積された経験から、ものの成り行きを的確に予測できる高齢者がおられますが、これらの方々は結晶性知能が優れた老人です。
 流動性知能と結晶性知能を合わせた知能全体は、図2のように青年期まで急速に向上し、その後ゆっくり低下してきます。しかし、結晶性知能は加齢に伴う低下が認められないばかりか、向上さえも可能なのです。

 

<素敵に老いるヒント>
 このように加齢に伴う生理機能や知能の変化を見てみると、運動能力や新規の問題の解能力は、たしかに青年期以降衰えてきますが、蓄積した経験に伴う判断力などの結晶性知能は加齢に伴ってむしろ向上し続けるのです。どうやら、「素敵に老いる」ためには、若い時に様々な経験をして生理機能と流動性知能をできるだけ高くしておくとともに、加齢に伴う能力の低下を抑えたり、他の能力でカバーしたりすることがポイントの一つになるように思えます。アメリカの大リーグで活躍しているイチロー選手は、日々の鍛錬を徹底して行えば、加齢に伴う運動能力の低下さえも最小限に抑え、身体的能力の低下を結晶性知能によって十分に補うことかできることを、身をもって示しています。素晴らしですね。

 

<加齢と老化は別のもの>
 「加齢」は一般的には「老化」と同義語であるように扱われています。しかし、加齢は、誕生日または新年を迎えて、物理的に年齢が多くなることを言うのであって、誰も加齢を止めることができません。
 一方、老化は加齢に伴い生理的機能が衰え、様々な老化疾患にかかり易くなり、最終的には死に至る過程です。加齢と同じく、誰も老化や死から免れることはできませんが、加齢と違って老化を遅らせることはできます。前述したように加齢に伴って全ての機能が衰退するわけではないのです。
 英語では加齢のことをエージング(aging)と呼びます。この語には、「加齢」と「老化」 の両方意味が含まれています。アンチエージングという語も用いられますが、これは抗加齢ではなく、抗老化のことです。

 

<健康寿命>
 生物としてのヒトの寿命は120才位と推定されています。ギネス世界記録によれば、最長寿記録はフランス人女性の 122 歳でしたし、日本の泉重千代さんも120歳までご存命で、 男性の世界最長寿記録となっています。
 長生きされることは、それ自体で大変素晴らしいことですが、物理的に長く生きることよりも健康で過ごせる「健康寿命」の方が大切と思 います。健康寿命は、それぞれの心掛け次第で長くも短くもすることができます。日本には現在100 歳以上の方が何人も居られるそうですが、健康で溌剌と長寿を満喫されておられる方も少なくないことでしょう。「素敵に老いる」とは、健康で溌剌とした状態で年齢を重ねることだと思います。ではその方法を考えてみましょう。

 

<心の健康>
 最近は健康志向的ライフスタイルが流行しつつありますが、「心の健康」についての関心はどの程度あるのでしょうか。そこで今回は「考えることはエネルギーである」を中心に表題のテーマを考えてみましょう。
 そもそも「人間は考える葦」だとか「考えることのできる動物」などと言われますが、それは人間が他の生命体に比べて大脳が発達しているためだと考えられるからでしょう。
 ただ人間はこの大脳を良い方向に向けて使うか、よくない方向に向けて使うかで、場合によっては人類の滅亡をも招来しかねません。そのような例はみなさまご承知でしょうから多くは申しますまい。
 さて今回は地球規模の平和や幸せ等と言う大それたことはさて置き「自分自身」という ささやかな宇宙の中での「幸せ」を、どう構築するかについて考えてみましょう。そして、「成程」と思ったら実行に移して下さい。私に与えられたテーマのカギはそのあたりに見出されるのではないでしょうか。

 

<抗老化のすすめ>
 さて、我々はよく「言うのは只よ」とか「考えるだけなら簡単なことよ」などと言い、考えたりしゃべったりするものは実体がないものと考えています。
 しかし、昔の人は言霊といって言葉に宿っている不思議な霊威(すぐれている不思議なもの)を信じていました。 それを単なる迷信として一笑に付していいのでしょうか。
 もしそうであれば心理学でいうカウンセリングも、励ましの言葉も単なる抽象的・一過的なものに過ぎなくなります。
 こう考えてくると、考えたり言ったりすること自体にエネルギー(力)が存在するのでは・・・との結論が導き出されます。
 その一例を皆さんに実験で体験してもらいましょう。
(TSS文化大学で行った実験の具体的な内容は言葉では表現困難なので説明を省略します)
 お分かりになったでしょうか。脳の中を流れるエネルギーなんて僅かなものと考えておられたかもしれませんが、たとえば平方メートルの場所に1mmの降雨があったとすると1リットルの水量となります。もしこれが広島市全域となると莫大な水量(集中豪雨の被害) になりましょう。一見微弱(?)なエネルギーも、1か所に集中すると平常では想像できないような物凄い力を発揮するものです。
 現在まだ詳しく解明されていませんが、脳の働きには単なる物理的・常識的物差しでは計り知れない現象やパワーの発揮が示されています。

 

@一瞬のうちに一生のことを回想したり A交通事故に遭ったときのスローモーション的記憶 B全盛期のホームラン・バッターは飛んでくるボールがゆっくり見えるなどは、脳の超覚醒状態の為せるところでは無いでしょうか。
 こうなると我々は言ったり考えたりするといった脳の働きを常にマイナス的な方向からプラス的方向にスイッチを切り替えておく方が人生も楽しくなるのではないでしょうか。 プラス的思考への心掛けは(アンチエージング)への大きな原動力になる筈です。
 最後に自分も周囲の人もみんな楽しくなる抗老化の方法をもう一つ述べておきます。

 

<笑いの効用>
 山口県防府市にはお笑い講という行事があります。市の無形文化財に指定されています。
 健康長寿を願っての行事だそうです。「笑う門には福来る」・・・と言いますがこれを医学的心理学的に説明するとその効き目には決して侮れないものがあるのです。「笑い」は、人間の場合前頭葉の作用によるものですが、罰系の嫌悪中枢と報償系の快感中枢とによって感情がコントロールされる。そして脳と言う精密で複雑な機能のお陰で生活をしています。脳に伝達されるさまざまな情報はここから身体各部に伝達されます。したがって「笑い」と言う行為によって身体各部の状態が正常になれば「笑いは百薬の長」と言うことになるわけです。
 ストレスという言葉をご存じでしょう。「種々の外部刺激が負担となって働く時、心身に生じる機能変化」のことです。ストレスの原因となる要素(ストレッサー)は、寒暑、騒音、化学物質等の物理的・化学的なものや飢餓感、感染、過労、睡眠不足など日常生活的なもの、精神緊張、不安、恐怖、興奮などの社会的なものなど多種多様です。
 要するにストレスは、見たり聞いたり感じたりする時、それが負担になって本人に働き、心身のどこかにマイナス的作用する事なのです。従って「老化」と言う現象を防ぐ一つの 手段に「笑い」を取り入れる健康法が最近クローズアップされるに至りました。
1 交感神経と副交感神経によって自律神経は構成されている。
2 腹式呼吸は副交感神経など身体を休める機能を引き起こす。
 笑うとどうしても腹式呼吸になり、リラックスせざるを得なくなりますね。これが「笑いは百薬の長」と言われる根拠なのです。

 

<笑いは百薬の長>
 テレビのお笑い番組を見せてその前後で血液検査を行い比較したところ、番組を見た後の方が免疫力がアップしたとの報告もあるし、ガンで入院治療中の患者を年二回大阪の演芸場に連れて行って「お笑い」を鑑賞させたらガンの病巣が小さくなったり、消えたりした・・との報告をした病院もあるくらいです。これらの事象をもう少し詳しく説明すると、体内の免疫システムの中にリンパ球の一種で、ガン細胞等を攻撃するNK(ナチュラル・ キラー)細胞があるが、それが活性化し、体に影響のある物を退治するというのです。しかしこのNK細胞は、年をとるにつれて減少傾向をたどり、その活性も減退するといわれています。腹を抱えて笑うことは横隔膜を機能させることになり、これによって胃の消化を助け、便秘や肝機能不全を補う働きをするのではないかといわれています。今日ここでは臨床的検査結果を示すだけの資料は用意していませんが、「わらい」が健康の為に良いということは理解していただけましょう。それでは次の質問にお答えください。
1. あなたは今日今までに何回笑いましたか? そしてその笑いは、微笑、哄笑、失笑、嘲笑のいずれでしたか?
2. あなたは今日言った言葉のうち、それを聞いたひとが思わず釣り込まれて笑ったりしましたか? そこまでいかなくともその人の気持ちが和んだり頬が緩んだりしたようにみえましたか?

 

<今回のまとめ>
  「美しく老いる」とは、こころの在り様にかかっています。「なくて七癖」と言いますが、自分の気のつかぬうちに随分沢山の変なことを振り撒いているもの。マイナス的な思考をする癖はもうお払い箱にしましょう。
 そして笑って楽しく過ごせるように毎日を送って行こうではありませんか。

 

<参考資料> 「高齢者の心に響く交通安全教育」シリーズ、西山啓、「交通安全教育」、平成15〜22年、(財)日本交通安全教育普及協会

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