ある来客

2019年4月25日

 

 同じ学校を同期で卒業したと言うだけだが、しばらくぶりで会うと、まるでいとこにでも会ったような無条件に親しい気持ちが湧いてくる。
 お互い働き盛りの時には、特に交流はなかったけれど何年かに1度開かれる同期会でお互いの無事を確認し合うだけだった。
 改めて日を変え、場所を変えて旧交を温め合うと言うほどの仲ではなかった。
 そんな彼が突然電話をかけてきて、仕事のことで会いたいと連絡があった。
 お互いこの歳になって、「仕事のこと」と言われると、取引を始めたいか、もしかして、出資を求めるのかなど何れにしても悪い予感がした。
 私は「あーこれでまた知り合いを失うことになるのかあ」と周囲にもらした。
 約束の時間に比べて彼は、相当早く来ていたようだ。
 予定より15分ほど早く部屋に入ってもらって話を聞くことにした。次の予定まで45分あるとそう思いながら話を聞いた。
 彼は最初に、裁判所からの会社清算通知の文書を私に見せた。
 そうですかいろいろご苦労をしたのですね。このような文書が来ると言う事は相当多額の債務免除を受けたと言うことですか。
 彼は言った。「全ての財産を失いました。でも自宅は残すことができたんです。」
 それは、それは、大成功じゃないですか。家まで無くなることが多いですよ。
 「でももう一度再起をしたいと思って銀行に口座を開きに行っても相手にしてもらえませんでした。妻は反対するんですけど。」
 「私はこのままでは終わりたくないんです。あと10年何とか頑張ってみたい。
 そもそもこのような事態に至ったのは会社を人任せにしたことが失敗の原因です。これからは自分の手で何とか再興したいのです。」
 私は言いました。事業を行う者は、どんなに細心の注意を払い最善の努力をしても避けることのできない経営リスクに直面する事があります。だから会社の経営が破綻したことについては、ご苦労様としか言いようがありません。
 われわれの年齢は40歳50歳の時と違って再チャレンジのできる年齢を過ぎてしまいましたよね。百歩譲って何かチャレンジをしようということであれば、次の世代の合意を得たうえ、彼らととともに、行っていかなくてはならない年齢ですよ。精神的にも健康上も冷静かつ丁寧な緊張感あふれる経営を持続できなくなるリスクが年々大きくなっていくのです。
 この前の同期会は、まるで病人の集まりではなかったですか、あの手術をしたこの薬を飲んでいる等健康不安の話ばかりでしたよ。
 また、私が、管理している若干の資産、ほんの少しですよ、それがあるのですが、それらを次の世代に確実に引き継ぐ責務が、私にはあるのです。
 だから、この管理運用については、次の世代にオープンに示し、意見を受け入れ、リスクを最小化してあと何年か後に、リタイアします。
 繰り返しますが、私たちはそういう年齢じゃないですか。
 申し訳ないけど、そろそろ、次の約束の時間になりました。
 彼は、具体的な要望は言わなかった。「また相談に来ます。」と席を立った。

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