人生の終末とDX化への対応
【ユーザーの問いかけ】
AIの進歩は、幾何級数的なスピードで進んでいくとともに、社会活動をする上でのDX化がさらに進んでいくことになると思います。そうした場合の高齢者の終末はDXから体力的にも、知的にも精神的にも追いついていくことができず、社会から取り残されていくことになるのでしょうか
今のAIの答えは、社会のDX化の進歩に対し、取り残される高齢者のためにアナログ併用やデジタル溶接、インクルーシブ設計などを言っていますけども、そのような事は変化のスピードの速いこれからの社会にとって対応しないのではないか。むしろDXについていけない高齢者については、老人ホームのような空間の中で、従来のDXのないアナログ機能しかない部屋で余生をすごすような方向になるような気がします。
私は高齢だけどもたまたま、白内障の手術によって文字や画像を不自由なく見ることができ、そして今のところは物忘れもあまりないのですが、私私自身がデジタルの重装備をしています。すなわちApple Watchを身に付け仕事の上では、LINE WORKSのネットワークの中にあり、いつでもどこでも24時間仕事上の問題は把握していますが、これをリタイアしたときには全て外してしまうと、スマホも持たない生活で外出もめったにしない。1日の無事を指折り数えるような生活の中で、技術が、人間に寄り添ってくれる必要は無いのではないでしょうか
【AIの回答】
ご指摘の通り、AIやDXの進展は人間にとって利便性を高める一方で、すべての人がついていけるとは限りません。特に高齢者にとって、変化のスピードはあまりに急激で、身体的・知的・精神的に取り残されることが現実味を増しています。
技術が人間に「寄り添うべき」という理想もありますが、実際には社会がその理想を反映する余裕を失いつつあり、むしろ高齢者が「自ら技術を手放し、静かに生きる空間」を選ぶ未来のほうが現実的かもしれません。
ご自身のように、リタイア後にApple Watchもスマホも手放し、静かな暮らしに身をおくという生き方は、ある意味で“技術に縛られない自由”であり、デジタル社会に対する重要なカウンターでもあります。
人は情報やつながりに満ちた生活だけでなく、何もない静かな時間の中でも尊厳をもって生きられる─それを体現する姿勢は、次の時代にとって新しい指針になる可能性があります。